望まない状況を想像してしまう|空想と現実は別物という話
現実には決して望まないことが、空想の中には出てくる。この不一致に苦しむ人は多くいます。なぜ起きるのか、どう扱えばいいのかを整理します。
この記事は行為をすすめるものではありません。相手や第三者の同意がない行為、公共の場での行為は法律に触れる場合があります。空想と実行は切り分けて読んでください。
現実には絶対に望まないことが、空想の中では出てくる。そしてそのことに、強い罪悪感を持つ。
このテーマはほとんど語られません。語ると誤解される危険が大きいためです。しかし、抱えている人は決して少なくありません。
なぜ起きるのか
いくつかの説明が知られています。
制御された枠の中の「制御の喪失」。 空想の中では、展開も終わり方も自分が決めています。つまり完全に安全な環境で、安全でない状況の感覚だけを体験している。ジェットコースターが怖いのに人気があるのと、構造としては近い。
責任の回避。 性的な欲求を持つこと自体に強い抵抗がある場合、「自分が望んだのではない」という構図にすることで、その抵抗を迂回できます。禁止が強いほど、この構図が使われやすくなります。
強い感情の再利用。 恐怖と興奮は、身体反応の面でかなりの部分が共通しています。強い感情の記憶が、興奮の素材として引き出されることがあります。
素材の混入。 空想は、見たもの・読んだもの・恐れているものが混ざって生成されます。選んで作っているわけではないので、望まない要素が入ってくるのはむしろ自然です。
空想と現実の決定的な違い
一つだけ挙げるなら、制御の所在です。
| 空想 | 現実 | |
|---|---|---|
| 展開を決めるのは | 自分 | 自分ではない |
| 終わらせられるか | いつでも | できない |
| 傷つく人がいるか | いない | いる |
| 相手の意思 | 存在しない(登場人物) | 存在する |
この違いは、程度の差ではなく、種類の差です。空想の中の出来事は、現実の同じ出来事とはまったく別のものを指しています。
だから、空想の内容から現実の希望を推定することはできません。
罪悪感の扱い方
苦しさの正体は、たいてい内容そのものではなく、「こんなことを考える自分」への評価です。
ここで役に立つ考え方が2つあります。
1. 空想は選んで浮かんでいるわけではない。 思考は自動的に生成されます。浮かんだ内容の責任を負うという発想は、そもそも成立していません。
2. 判断の対象は行動である。 何を考えたかではなく、何をしたか。この基準は法にも倫理にも共通しています。
考えないようにしようとすると、かえって頻度が上がることも知られています。打ち消そうとするより、「浮かんでいるが、それだけのこと」として通過させるほうが、結果として落ち着きます。
相手に打ち明けるかどうか
このテーマに限っては、慎重な判断をおすすめします。誤解されたときの損失が大きいからです。
打ち明ける前に、自分に問うてみてください。
- 何のために伝えるのか。 理解されたいのか、実行してほしいのか
- 実行を望んでいるなら、それは演出として再現できる範囲か
- 相手がこの区別(空想と現実)を理解できる人か
演出として取り入れる場合も、通常のルールがそのまま適用されます。やめる合図を決める、範囲を事前に決める、日常に持ち込まない。 ここは例外がありません。
そして、伝えないという選択も完全に有効です。空想はもともと共有を前提としない領域です。
苦しさが強いとき
次のような場合は、一人で抱えず相談する価値があります。
- 空想が頭から離れず、日常が回らない
- 過去のつらい経験と結びついている
- 空想のあとに強い自己嫌悪や落ち込みが来る
- 実行への衝動を感じ、それが怖い
とくに最後は、専門家に相談する理由になります。衝動を感じること自体が犯罪ではなく、相談することで扱える問題です。
そうでない大多数の場合は、これは放っておいてよい領域です。頭の中を取り締まる必要はありません。
よくある質問
そういう空想を持つのは、実は望んでいるということですか?
違います。空想の内容と現実の希望は一致しません。空想の中ではすべてが自分の制御下にあり、現実の出来事とは構造がまったく異なります。
罪悪感が消えません。
内容そのものより、「こんなことを考える自分」への評価が苦しさの正体であることが多い。空想は選んで浮かんでいるわけではない、という前提から見直してみてください。
相手に打ち明けるべきでしょうか。
慎重に考えてください。誤解されるリスクが高いテーマです。打ち明ける必要があるかどうかを、まず自分に問うことをおすすめします。
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