空想でとどめるという選択の価値
実行しないことは、我慢や敗北ではありません。空想が持つ独自の価値と、それを積極的な選択として扱う考え方。
「実行しない」という選択は、しばしば我慢や敗北として扱われます。できなかった、勇気がなかった、と。
しかし、空想には実行では得られない性質があります。 それを知ったうえで選ぶなら、これは消極的な選択ではありません。
空想にしかない性質
1. 完全な制御
空想の中では、展開も、相手の反応も、終わり方も、すべて自分が決めています。望まないことは起きません。
現実では、相手には意思があり、状況は予測できず、途中でやめられないこともある。
2. 無制限
空想には、物理的な制約も、法的な制約も、時間の制約もありません。現実では成立しないものを含めて、何でも扱えます。
実行しようとすると、その多くが不可能か、危険か、違法です。
3. 誰も傷つかない
登場人物は実在しません。関係が壊れることも、誰かが泣くことも、責任が発生することもない。
4. 失うものがない
実行には常にコストがあります。時間、お金、関係、評判、法的リスク。空想にはこれがありません。
5. 期待外れが起きない
実行して期待に届かないという結果が、空想には存在しません。 想像していたものと違った、という失望を経験せずに済みます。
実行すると失われるもの
この裏返しとして、実行すると失われる要素があります。
- 制御が相手にも移る
- 制約が加わる
- 責任が発生する
- 期待とのずれが生じる
つまり、実行は空想の上位互換ではありません。 別のものであり、失うものもある。
この事実は、あまり語られません。「勇気を出して実行した」という物語は語られやすく、「実行してみたら思ったほどではなかった」という話は語られにくいためです。
何を実行し、何を空想に置くか
すべてを空想に置く必要はありません。仕分けの基準を持つと、扱いやすくなります。
実行の対象になりうるもの
- 合意が取れる
- 誰も傷つかない
- 法に触れない
- 実行しても失うものが小さい
空想に置いておくもの
- 現実には成立しない要素を含む
- 相手が受け入れられない
- 法や安全の線を越える
- 実行するとリスクが大きい
この仕分けができていれば、空想に置くことは「諦め」ではなく「配置」になります。
罪悪感の扱い
空想の内容に罪悪感を持つ人は多くいます。特に、現実には望まない内容が現れる場合。
ここで確認しておくべきことは2つ。
空想は選んで浮かんでいるわけではない。 思考は自動的に生成されます。素材(見たもの、恐れているもの、記憶)が混ざって現れる。内容の責任を負うという発想は、そもそも成立していません。
判断の対象は行動である。 何を考えたかではなく、何をしたか。これは法にも倫理にも共通する基準です。
質を上げるという発想
空想を選ぶなら、その質を上げることもできます。
- 時間をかける
- 環境を整える
- 作品を素材として使う(合法な範囲で)
- 急がない
「解消するための手段」ではなく「時間そのもの」として扱うと、満足度が変わります。
積極的な選択として
最後に。空想にとどめるという選択を、こう言い換えることができます。
リスクを取らずに、制御された形で、無制限に、誰も傷つけずに満たす方法を選んだ。
これは我慢ではありません。条件を比較したうえでの、合理的な選択です。
そして、この選択にはもう一つ利点があります。やめたくなったら、いつでもやめられる。 実行してしまったものは、取り消せません。
よくある質問
実行しないと満たされませんか?
空想でしか満たせないものもあります。実行すると失われる要素(安全性、制御、無制限さ)があるため、実行が上位互換とは限りません。
空想ばかりで現実が疎かになりませんか?
生活が回らなくなっているなら問題ですが、そうでなければ空想が現実を損なうことは通常ありません。
罪悪感があります。
空想は選んで浮かぶものではなく、内容の責任を負う対象ではありません。判断されるのは行動のほうです。
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