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性癖・フェチ・嗜好

自分の性癖は異常なのか|線を引く基準は3つしかない

変わった趣味を持っていると気づいたとき、多くの人が「自分は異常なのでは」と考えます。正常と異常を分ける基準は、内容の珍しさではありません。3つの軸で整理します。

この記事は行為をすすめるものではありません。相手や第三者の同意がない行為、公共の場での行為は法律に触れる場合があります。空想と実行は切り分けて読んでください。

自分の興味が人と違うらしいと気づいた瞬間、多くの人が最初に検索する言葉は「異常」です。そして検索結果には、断定的な素人の意見と、不安を煽る広告が並んでいる。この記事はその逆をやります。

結論から言うと、正常か異常かを分けるのは、好みの内容ではありません。判断に使えるのは、次の3つの軸だけです。

軸1:合意があるか

もっとも重要で、例外がない基準です。関わる全員が、判断できる状態で、自分の意思で同意しているか。

「判断できる状態で」という部分が抜け落ちがちです。相手が酔っている、寝ている、立場上断りにくい、そもそも18歳未満である——こうした状況での同意は、同意として成立しません。また、一度の同意はその場限りのもので、次回まで有効なわけでも、途中で撤回できないわけでもありません。

そして、その場にいない第三者を巻き込む行為(撮影して見せる、公共の場で見せる、勝手に共有する)は、当事者間の合意では正当化されません。ここは好みの問題ではなく、法律の領域に入ります。

軸2:現実の被害が生じるか

空想と行為は別物です。頭の中に何が浮かんでも、それ自体は誰も傷つけません。空想の内容で自分を裁く必要はない、というのが心理領域の一般的な考え方です。

一方、行為には結果があります。判断するときは「自分がどう感じるか」ではなく、次を確認します。

  • からだに残る損傷が起きうるか
  • 心理的に回復しにくい傷が残りうるか
  • 当事者以外の誰かの権利を侵していないか
  • 法に触れないか(公共の場での露出、撮影、盗撮などは刑事罰の対象になりえます)

この4つで問題がないなら、内容がどれだけ珍しくても「異常」という言葉を持ち出す理由はありません。

軸3:生活を侵食していないか

3つ目は自分自身に対する基準です。

  • そのことばかり考えて仕事や家事が止まる
  • やめたいのに、やめられない
  • そのために金銭的に破綻しつつある
  • それがないと日常の何も楽しめなくなっている

こうした状態は、内容が何であれ依存の形に近づいています。この場合に問題なのは好みの種類ではなく、生活とのバランスです。逆に、月に何度か楽しんで満足し、残りの時間は普通に生きているなら、そこに病名を探す必要はありません。

「珍しい=異常」ではない理由

多くの人が異常だと感じる理由は単純で、比較対象が見えないからです。性的な好みは公開されないので、統計的にどれくらいの人が同じことを考えているのかを知る手段がありません。可視化されないものは、実際より珍しく感じられます。

実際には、いわゆる「変わった好み」とされるものの多くは、少数派ではあっても例外的ではない範囲に収まります。自分だけだと思っていた興味に名前が付いていて、その名前で検索すると同じことを書いている人が大勢いる、という経験をした人は多いはずです。

判断より、扱い方を決めるほうが実用的

「異常かどうか」を決めても、生活は1ミリも変わりません。決めるべきなのは、その好みをどう扱うかです。

状況現実的な扱い方
相手がいて、共有できそう少しずつ、反応を見ながら伝える
相手がいるが、共有は難しい一人の時間の中で完結させる
相手がいない空想・作品・自分の時間で満たす
生活を侵食し始めている頻度と時間の上限を先に決める

どの行にも「治す」は出てきません。多くの場合、必要なのは治療ではなく配置です。どこに置いておけば、自分の生活と、大切な人との関係を壊さずに済むか。それだけを考えれば足ります。

そのうえで、軸1と軸2に触れる領域だけは、はっきりと線を引く。この線引きさえ守られていれば、あとは誰にも咎められる筋合いのない、自分だけの領域です。

よくある質問

誰にも言えない趣味があります。隠していること自体が問題ですか?

問題ではありません。性的な好みは本来プライベートな領域で、開示は義務ではありません。問題になるのは、隠していることが強い苦痛を生んでいる場合や、隠すために嘘を重ねて関係が壊れている場合です。

想像の中でひどいことを考えてしまいます。

空想の内容と、その人の価値観や行動は一致しません。空想は制御されない領域で起きるもので、そこに現れたからといって実行を望んでいることにはなりません。判断の対象になるのは行動です。

治したほうがいいのはどんなときですか?

生活が回らなくなっている、やめたいのにやめられない、相手や第三者を傷つけている、法に触れる、のいずれかに当てはまるときです。それ以外は「治す」対象というより、扱い方の問題として考えるほうが現実的です。